【スカイラインR32型GT-Rは何が凄いのか?】R32を徹底解説

R32型スカイラインは1989年5月に発売されましたが、実はGT-Rは8月に発売されました。日産は1985年8月に7世代目のスカイラインであるR31型をリリースしました。この時期はバブル経済の時期でトヨタのクラウンのような高級車が人気を博しておりスカイラインも高級路線へとシフトし、初のフードハードトップモデルを市場に投入しました。しかし、スポーツ路線から高級路線への変更はファンからの不評を買う結果となり新開発のエンジン性能を十分に引き出せなかったことからも多くの批判を受けました。

スカイラインR32型のはじまり

R31型の開発が最終段階に差し掛かった際、開発総責任者の桜井新一郎氏が体調を崩したためその後を継いだ伊藤長氏は新たなスカイライン「R32」の開発に力を注ぐことを決定しました。当時、日産は1990年代までに技術世界一を目指すという目標を掲げたプロジェクト「901」を進めていました。このプロジェクトは1990年代までに開発される全車種を対象にしておりエンジンやサスペンション、ハンドリング、デザイン、品質などの技術開発に力を注ぐものでした。

このプロジェクトの成果は日本ではスカイライン、海外ではプリメーラやZ32型フェアレディZに表れました。
コンセプト
R32型スカイラインの開発コンセプトは「しっかり走ること」でした。そのためかローレルとは別に開発が進められ、ホイールベースを短縮、トランクも小さくするなど実用性を犠牲にして走行性能を追求しました。R32にはGT-Rという高性能バージョンが設定される予定でしたが、まずは基本モデルでスカイラインの走行性能を復活させることが重視されました。
またGT-RがグループAレース専用に開発されたわけではなく伊藤氏が掲げたGTRのコンセプトは「究極のロードゴーイングカー」、つまり一般道でもしっかりと走れる性能を持つことでした。しかしこれでは開発部門に説明するのが困難だったため「グループAで勝つ車」という表現で説明をしました。
名エンジン「RB」の登場

GT-Rの心臓部であるエンジンは、当時の開発者の中でも優秀なメンバーが集められて開発されました。直列6気筒ターボというスペックは特別なものではありませんが、GT-Rが持つべき速さを身につけ、チューニング界やレース界でも最強の名を欲しいままにしている名機「RB26DETT」エンジンが開発されました。
何故RBエンジンは「直6」なのか

当時の記録によれば、GT-Rに搭載されるエンジンの目標性能は300馬力クラスに定められ、V型6気筒と直列6気筒の2つのシリンダーレイアウトが比較検討されました。当時はV6のVGエンジンと直6のRBエンジンという2つのラインナップが存在し、両選択が可能でしたが2つのエンジンをあらゆる角度から検討した結果、公道走行ではクランクの短いV6が有利だが、バランスの良さと気持ち良いフィーリングなら直6にメリットがあると判断されました。
排気量

R32型スカイラインのエンジンの総排気量を決定する際、最も大きな要素となったのはグループAの存在であり規定では排気量によって最低重量が変わり、有利な最低重量が2.3リットルと2.6リットルであると予想しました。そして優勝できるマシンとなるためには600馬力クラスのパワーが必要だったためその出力を2.3リットルから安定して引き出すことは難しいと判断、2.6リットルという排気量に決定しました。
実はRBエンジンは新設計ではなかった

RB26DETTエンジンは新設計ではなく、存在していた輸出用のRB24エンジンブロックをベースにしておりRB24のボアを86ミリに拡大、ストロークを73.7ミリに延長して2568ccという排気量を実現しました。ブロックには、600馬力以上を想定した補強リブが追加され、RB24より強度を持つエンジンに生まれ変わりました。
勝つためだけに生まれたエンジン

グループAの規定ではピストンの交換が許可されていたためノーマルは鋳造性となっていましたが耐熱性を高めるためにクーリングチャンネルとオイルジェットを実装、また排気側バルブには世界で初めて自己冷却性を持つナトリウム充填式も採用されました。さらにグループAの規定ではターボチャージャーの個数やサイズの変更が許されていなかったため1基あたり300馬力の容量を持つタービンを使ったツインターボを採用しました。インタークーラーも規定で交換が禁止されていたため、市販車とは異なる大型の前置きタイプとなりました。
この様な経緯からRB26DETTは量産エンジンでありながら、グループAの規定を意識した作り込みがなされており開発基準はグループAで勝つために必要なものというところに水準が維持され収束していました。レギュレーションで交換が許されていない部分は市販車レベルを大きく超えるクオリティで仕上げられ、まさにレースに勝つために設計されたエンジンだったと言えます。
そもそも2568ccという排気量は排気量500ccごとに自動車税額がアップする日本においては、量販車としては挑戦的な設定であり、たった68ccのために自動車保険料も高くなります。それでも、こだわり抜いたRB26DETTエンジンだからこそ生産終了まで大きな設計変更が行われずグループAにおいて常に万全の戦闘力を保ち続けることができたのかもしれません。
電子制御4WDシステムの誕生

レースにおいてライバルに勝つには最高出力525馬力以上が必要と判断され、日産のモータースポーツ活動を統括するニスモからは500馬力以上なら4WDが必須と指摘を受けました。そこで電子制御式4WDの採用を決め、またエンジンの強力なパワーを的確に路面へと伝達するためにそれまでの前はストラット式、後ろはセミトレーリング式のサスペンションを前後マルチリンク式に一新しました。これまで日産の4WDといえば2WDと4WDを切り替えて使うパートタイム式、そして3代目のパルサーで世界初採用となった全輪駆動を元にしたビスカス式4WDしか経験がありませんでした。そのため電子制御で意図的に前後のトルク配分をする4WDとはどうすればいいのか苦難の日々でした。車の走行状態に応じてトルク配分をする受け身的なフルタイム4WDは他社にも存在しましたが電子制御で意図的に駆動力配分を行う開発は着手されたばかりという時代だったのです。
開発は試行錯誤の連続でありテストコースなどで一定の手応えを得たのち、ドイツのニュルブルクリンクで最終テスト走行に挑みましたが半周しか走行できずに故障してしまいました。速度域が高いニュルブルクリンクでは日本で気づかなかった弱点が明らかになり、軽々と追い越していくドイツ車の性能に圧倒されたと言われています。
電子制御4WDへの挑戦に加えて4輪ステアリング技術ハイキャスの開発も困難でした。ハイキャス自体はR31スカイラインから採用されていましたがニュルブルクリンク場合では高速で右から左へと切り替えるようなカーブの連続となっており、ステアリングの切り替えに遅れが生じました。その結果、切り替えた後に素早く姿勢を作るのが困難で運転との一体感を出すのに多くの時間を費やしました。
スカイラインR32型GT-Rのレース活躍

R32型GT-Rは1989年に市販、その翌年の1990年にグループAのシリーズ第1戦に初めて参戦しました。出走した2台のGTRは他の競争者を圧倒し、1位と2位を獲得しました。2位のGT-Rはエンジントラブルにもかかわらず、3位とは1周以上の差をつけてゴールしました。
その後の第2戦でも、2台のGT-Rが1位と2位を独占し、3位は1周遅れでした。第3戦の鈴鹿でも2台のGT-R以降は3周遅れという結果となり、シリーズの半分を終えた時点で、GT-Rの競争相手はいないことが明白になりました。以降、1993年のグループAの終了まで、スカイラインGT-Rの天下が続きました。

その後、海外のレースにも参戦するようになりオーストラリアで開催された過酷なレースとして知られる「バサースト1000キロ耐久レース」では2年連続優勝を遂げ、スカイラインGT-Rの性能を見せつけました。しかし地元のモータースポーツ運営者たちはあまりに強いGT-Rを嫌がったためスカイラインGT-Rが出場できないような都合の良いルールへと変更しました。

そのためオーストラリアでは日本の怪獣である「ゴジラ」と呼ばれるようになり、あの英国イギリスでは「世界一優れたスポーツカー」と絶賛されました。

GT-Rが築き上げたのはまさに不滅の神話でした。600馬力を発揮してのグループA制覇であり、市販車のエンジンより高い強度を持ち、少し手を加えるだけで300馬力を出すことができました。冷却系や燃料系などを強化すれば450馬力程度を発生させることも可能でさらにチューニングやり方しだいでは1000馬力オーバーにすることもできる驚きのエンジンでした。そのためか市販化にあたり自粛性枠である280馬力に収まるデチューンの努力がされブーストの微調整やパワーが出にくいマフラーの装着などの工夫がされました。それでもGT-Rの新車を購入しフルノーマルでパワーチェックをしたら320馬力ほど出たという話があり、280馬力という表記すら良い意味でカタログスペックに過ぎないという結果になりました。
最後に
これまで日産はフェアレディZやシルビアなどスポーツ界の名車を築き上げた存在ですが、スカイラインGT-Rもその中の一台として後世に語り継がれて欲しい車だと思います。
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